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カメラ女子と行く、マニアック三国ツアー【観光スポット編】

ゲストハウスのスタッフなのに、「福井の名所、あんまり行ったことない…」というカナちゃんによる衝撃の告白で始まった今回の女子旅。地元のディープな観光ルートを紹介する【食べ物編】に続く【観光スポット編】です。

たまたま声かけたおんさんは、アツい職人魂をもっていた。

朝9時に集合した私たち、朝ごはん抜きの空きっ腹を満たすべく、揚げたてコロッケをほおばりながら見つけたのが、こちら。

江戸時代から続く提灯屋・いとやさんが、色付けした提灯を天日干ししていたのでした。すすめられるままに工房へ入ると、親方の畑さんが、提灯づくりの行程だけでなく業界のこれから、まちづくりの展望などなど、尽きることなく約1時間(!)お話してくれました。

とりわけ、手作りの提灯を作れる職人がどんどん少なくなり、今や全国からの注文をこなす多忙な日々を送るなか、娘さんが後を継ぎ、精力的に活動されている様子を誇らしげに語ってくれたのが印象的でした。別棟ではミニ提灯の絵付け体験や、息子さん家族がやっているカフェでお食事ができます。

武将好き必見。14世紀から続くお立ち寄り所のレキシ。

そこから歩いて向かったのは、14世紀に創立された瀧谷寺(たきだんじ)。道中にある古い町並みも、カメラ女子の心をがっちり掴んだもよう。

瀧谷寺は、南北朝時代の永和元(1375)年、睿憲上人によって開山されました。中世には、戦国大名の朝倉氏や柴田勝家、福井藩主の松平家、丸岡藩主の有馬家ら、歴代領主の祈願所として、当寺は篤い帰依と保護を受けました。幕末には、京都より勤王僧「道雅」が来て法統を継いだことで、梁川星巌や梅田雲浜らの志士がしばしば当寺を訪ねて国事を論じました。 以来、当寺は真言宗の古刹として640年、現住53世におよんでいます。(瀧谷寺ホームページより)

そのほかにも、織田信長、豊臣秀吉など歴代の武将が祈願寺として立ち寄った場所。国宝や重要文化財を多数保存していて、参拝順路に鎌倉時代の阿弥陀如来像とか普通に置いてあってビビります。

実はこちら、ワタクシの同級生のご実家。同級生は文化財修復の仕事をしていて、たまに実家でも修復の仕事をするのだとか。そういう形での地元貢献も、素敵ですよね。

今回初めて知りましたが、ここはどうやら知られざる猫寺でもあるよう…。8匹のねこさまたちが境内を闊歩しておられます。武将好きとねこ好きは必訪の地。

次なる目的地へは、瀧谷寺の裏道を通っていきます。

てくてく…(※人んちの畑)

てくてく…(※人んちの畑)

…着いたっ!

と思ったら休みだった!不覚!!

次世代に伝えたい、アートのレキシが根づくまち。

こちらは、太平洋戦争中の疎開をきっかけに三国に移住し、三国高校の美術教師として生涯を滞在しながら、世界的に評価される作品を生み続けたジャンクアートの巨匠・小野忠弘のアトリエ兼住宅を改修したギャラリー「ONOメモリアル」。現在は残念ながらあまり管理が行き届いておらず、ギャラリーの開館時間も限られております(11月からは休館。3月以降、金土日祝のみ開館)。ですが、たくさんの人に小野忠弘という人を知ってもらいたいと思って、三国を案内する友人にはなるべく紹介するようにしています。

最近、11月に取り壊される旧町役場にあった小野忠弘の壁画が、撤去作業に入ったそうです。こちらも受け入れ先が決まっていない状態。なんとかしたいなあ。。。

ギャラリーが閉まっていたので、こちらのガラス屋さんへ。

このお店を切り盛りする坂本さんご夫婦は、晩年の小野さんの身の回りの世話をしながら、日常的に小野さんと接し、アーティストとしてではない小野さんの一面も知る貴重な生き証人。今回はノンアポ訪問、かつお昼休みの時間帯だったため、お話を直接聞くことはできませんでしたが、作業所には小野から贈られたいくつかの作品が飾られています。

三国の芸術のレキシに触れたあとの帰り道では、これらのアイテムがカメラ女子たちを釘づけに。

薄汚れ…潮風の運ぶ塵に年月を感じる標識に、石材店で無造作…荘厳な存在感を放っていた笏谷石(しゃくだにいし)。それぞれ違うアングルで写真を撮りまくる。なぜそこ。

もっと時間があれば、郷土資料を展示しているのに、もはやその昭和レトロな佇まいすら展示物と化しつつある郷土資料館「みくに龍翔館」や、夕陽のおちる海岸線沿い、お酒につまめばやめられない・止まらない「味付けたら」の早﨑商店、おからの出ない豆腐屋さん「きっちょんどん」とか行きたかったけど…!ベタに東尋坊で〆ました。また今度。

唐川恵美子

音楽家。
生まれは栃木、育ちは海のまち・三国。現在は山のムラ・竹田に住みながら「地域おこし協力隊」として活動中。